としこ氏の謎を追え
2025年が終わる。
今日はVらしく年越し配信……と思っていたのに、現在わたしは祖父母宅から帰宅中です。
主に家の片付けや掃除をしていました。親孝行。
ということで、帰宅にもう2時間ほど掛かりそうです。年越し配信は無いかもしれません。許して。
(※21:43追記 帰宅できました)
ということで、年越しなので今日はとしこ氏について書いていきます。これは完全オリジナルの高度なダジャレです。ホントかよ!
としこ?
としこ、確かに日本人っぽい人名である。ただ、今となってはかなり古い気がする。かなり甘く見積もっても、わたしの親世代ぐらいの人名ではないか?
出典: Benesee『たまひよ』2025-12-31閲覧
過去20年を通して、一度もトップ100に入らなかったということは、若者の「としこ」離れはかなり深刻なようだ。
ということで、次にわたしは人名名鑑 で「としこ」を検索してみることにした。仮にとしこが人気のある人名だとすれば、毎年誰かしらはその名をもつ著名人が輩出されるはずだ。
検索結果を見てみると、1975年まではほぼ年1人以上のペースで著名人の「としこ」氏が輩出されていたのに対して、それ以降はおよそ5年に1人と激減する。最年少は1990年生まれのサッカー選手、斎藤敏子氏であった。どうやら、「としこ」氏は70年代ごろを境として急減しているようだ。
そこで、わたしは改めて生まれ年別の人気人名を調べ直すことにした。幸い、明治安田生命がそれを調べるのに最適なページを作成してくれている。
このサイトによれば、各種「としこ」バリアントのうち最も人気のある「敏子」ですら、最後に10位以内となったのは1931年。全体を通しても5回しか、「としこ」がランクインしたことは無い。すなわち、「としこ」最大のボリュームゾーンは戦前生まれ世代ということである!
もはや身近にいないのも当たり前だ。その最大のボリュームゾーンは、今や御年90なのだから。
「〜子」人名
同サイトを確認してみると、1912-1956年の実に44年間に渡り、「〜子」人名はトップ10を独占している。
変化が起きたのは1957年である。この年、ランキングに「明美」が出現した。そして、これ以降「由美」「直美」など「〜美」人名が急増している。これらはおそらく以前から存在した「由美子」などからの派生であると考えられるが、いずれにせよこれで「〜子」一強体制は崩壊した。以降1970年代まで「〜子」「〜美」の二強体制となる。途中「恵(めぐみ)」も出現しているが、訓読みすなわち和語名であることから、これは「〜美」に分類してよいだろう。
70年代に入ると、「美香」「香織」が相次いで出現する。さらに70年代後半に「愛」「理恵」が出現したことをきっかけとして、女子の人名は急激に多様化していった。2025年現在では、かつての二大巨頭であった「〜子」「〜美」のいずれもがトップ10から陥落している。
考察
70年代を境として、女子の人名は急激に多様化していった。50年代まで、人気の人名はいずれも「~こ」であった。その後に起きた「~美」の急増も、「由美子」→「由美」など従来あった人名からの派生として解釈し得るものが多く含まれていた。
このあと出現した人名についても、「美香」までは「~美」の派生として解釈し得る余地がある。しかし「香織」「愛」「理恵」などについては、従来人気の高かった人名の派生として解釈することが困難だ。これはどう解釈すべきであろうか?
おそらく、この時期を境に、親族の名前をもとに名づけを行う(おそらく戦前からの)風習が薄れてきたのではないだろうか。75年といえば、高度成長期の終了や、第二次ベビーブームとちょうど重なる時期である。
高度成長期を通して、日本は地方部から都市部への急速な人口移動を経験した。この時期、日本各地で従来の血縁・地縁を中心とした社会の解体が進み、核家族化が急激に進行している。このことが、子どもの名づけにも影響を与えたのではないだろうか。たとえば、「由美子」→「由美」→「美香」や、「恵美」→「理恵」などの名づけは、親族の名前を派生させていくことで行われたものだと解釈し得る。しかし、70年代後半に出現した「愛」や、近年人気の高い「凛」などは、かつて人気の高かったいかなる名前との関連も見いだすことができない。このことは、子どもの名づけにおいて、親族の名がさほど重要でなくなったということを意味するのではないだろうか。そして、その大きな要因は、高度成長期における、血縁社会の解体と核家族化だと考えられる。核家族化により血縁の持つ意義が大きく低下し、それが子どもの名づけという形で表面化したのだ。
また、女性の社会的地位向上も、これら名づけの変化の一因であると思われる。1974年には、女性の権利向上を目的とした法律である、勤労婦人福祉法が施行された。もちろん法律が制定されたからといって、ただちに権利が向上したと言うことは出来ないし、2025年現在でも女性の平均年収は男性より著しく低い。しかしながら、こうした法律が70年代に施行されたことは、当時女性の権利向上を求める声が無視できない水準まで高まっており、政治に先んじて社会においてはそうした実践が行われつつあった証左ではなかろうか。その実践のひとつが、女性に対するこれまで以上に自由な名づけなのだとわたしは考える。
結論
70年代における「~子」人名の急減は、血縁・地縁社会の解体と女性の権利向上が主な理由であると推察される。わたしが「としこ」氏をなかなか見つけられないのは、ひとえに日本社会が真の意味で近代化を果たした結果なのである。
ダジャレで始めた調べ物がこんなことになるとは思わなかった。
久しぶりに社会科学の人っぽいことをしました。やっぱり調べ物と考察って楽しいですね。おわり
今度こそ良いお年を。
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